手術後の経過と家族の気持ち

  • 2019.05.03 Friday
  • 15:44

 

母の声 2008/03/15 ファクス

 

先生から説明を受けたとき、本人はどういう気持ちでいたのかなと、今更聞けないけど。手術後の回復は早かったし、病院へ行くのがこの時は楽しみだった1。化学治療法で入院した時は、だんだん心理的につらくなってきたのに、先生は、看護婦さんも、心療内科の先生への打診は、私が同じ病気の奥さんに話を聞いてからの行動だったのがおかしい。あの状態を見たら、もっと早く、精神が落ち着く薬をもらいたかったし2。辛い顔をしている本人を見るのはこちらも辛い。研修医の女医の先生が、ベッドの高さで会話してくれたのが嬉しかった3。徐々に転移のことが分かってきた4。やはり治らないのかと思った。同じ病気の奥さんとの情報交換は同じ境遇の者としてすごい励みになった5。転移の告知をするか、しないかの時、言わなくてよかったとつくづく思う。家に帰ってから、3ヶ月は今思うとあっという間に過ぎたと思うが、この長い一日一日がいつまで続くのかと思う時があり6、子どもに励まされる日々でした。一日の看護も、ほっと息の抜ける買い物の時間が待ち遠しかったが、出かけると早く帰らねばと思う7、毎日。

 

1)手術後は、みるみる回復している感じだった。寝たきりで全身にたくさんの管をつけられた状態から、一日ごとに管が一本外れ、起き上がれるようになり、歩けるようになり、食べ物を口にすることができるようになり、と回復をはっきりと実感できるものだった。

(2)母が主治医に頼もうと思った日に、看護師が「あまりにも辛そうだから、先生に出してもらいましょうか」と母に声をかけてきたのである。もちろん、化学放射線治療の前に、父は心療内科の先生の診察を受け、サポートすることが話されていた。

3)研修医の先生が毎日病室に顔を出し、長時間父と対話をしてくれた。父も研修医の先生についてしばしば話題にしており、来るのを楽しみにしていたようであった。

4)転移のことについては、主治医から母に廊下での立ち話でさりげなく「丸い影のようなものがある」と伝えられた。母はこのことについて、その2日後、大きな問題ではないかのような解釈のもと私に話した。このとき母は、「だって立ち話だったもん」と言っていた。立ち話だったのは、おそらく医師のやり方だったのであろう。

5)父と母は入院期間中に、2組のご夫婦(IさんとOさん)と知り合いになる。Oさんは、ご自身の夫が他界後、私の家に父のケアを手伝いに来てくれた。Oさんの夫が抗がん剤治療をすべきかどうかという相談の電話を父にかけてきたこともあり、お互いに励まし合っていた。母とOさんはいまでも一緒に美術館や食事に出かけており、よいつきあいをしているようである。Iさんの夫は再発後、仕事をしながら現在も治療中であるという。

6)自宅での看護は一時も父から目が離せないものだった。目を離したすきに、勝手に歩き出して転んだりすることが気がかりだったからである。すでにオキシコンチンの副作用で意識が朦朧としていた父にとって、独りでトイレに行くことは困難極めるものだった。そのため、基本的には、母か私のどちらかがリビング(父の寝ている和室とつながっている)にいるようにしており、洗濯物や着替えなどのために2階に上がったりするときにも、どちらかが必ず1階にいるようにしていた。ケアする者たちの日常生活がかなり不自由であることに疲弊することがしばしばあった。

7)母にとって、自宅から車で5分のところにあるスーパーに買い物に行くのが、少し息の抜けるときであった。しかし、出かけると家にいる父のことが心配になり、ゆっくり買い物をすることはなかなかできない毎日だった。

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