ケアラーの私が悩み・考えたこと

  • 2019.05.05 Sunday
  • 15:48

【入院期間中】

 

1)何を基準にして病院を選べばいいのか/(2)セカンド・オピニオンは必要かどうか/(3)手術すべきか化学放射線治療すべきか/(4)転移発覚後の治療方針はどうすべきか/(5)病院側とトラブルがあったときにはどうしたらいいのか/(6)医師との関係性の構築の仕方はどういうものが望ましいか/(7)予後告知はすべきか/(8)誰にどこまで話すべきか

 

→(1)、(2)について

確実に治る病院で治療したいと思うのは患者家族として当然であるが、その際に、食道の専門家がいるかどうか、症例数、成功率、知名度などいくつかの要素が考えられた。私が思っていた癌治療とは、「末期癌でなければ、手術すれば治る」というようなものだった。昔のように、不治の病というイメージはなかった。他、医療関係者から得た情報を元に、「カンファレンスが他の科と合同で開かれている病院であるか」などを基準にした。食道癌は複数の科の領域にまたがる疾患でもあるため、他科との連携がとれているかどうかは重要な点だという。素人の私はこれについてはまったく知らなかった。しかし、最も重要な要素であったのは、父を初めとする家族が、医師と初対面で信頼感を得たかどうかだったと思われる。また、セカンドオピニオンをしている時間も余裕もなかったことと、A病院がいい病院であると分かったが、最もいい病院で治療を受けさせたいと望む私は、セカンドオピニオンもしたうえで決めたいと思っていた。しかし、それを主治医に告げることにより、せっかくいい関係を築き始めている医師との間に小さな溝を作ることは怖かった。セカンドオピニオンを利用して自分の行きたい病院を選ぶことはできるだろうが(そのためにおこなわれるものであるが)、セカンドオピニオンを利用することは最初の病院に戻れないという危惧感を抱かせる。この時点ですでに医師と患者の間に発生する権力に絡め取られているのかもしれない。また、父と母はセカンドオピニオンがあること自体、あまり知らなかった。

 

→(3)、(4)について

これらは高度な専門知識、他の症例や経験による比較を必要とする問題である。治療方針は単にセオリーで解決する問題ではなく、進行している病状との関連において随時変更されていく流動的なものであることを知った。医師にも明確な原因が分からないさまざまな症状が多くあることを知った。また、治療方針を抗がん剤の「奏功率」によって提示されたが、患者にとっては「治るか治らないか」が問題である。

 

→(5)について

 手術直後の説明で「残した」と言われなかったことを弟と叔母は憤慨していたが、私が問題としたのは他のことであった。父の予後告知は「しない」ということで決めたので、このことについて主治医と科長に他の先生方にも確実に通してもらうようにお願いした。しかし、誤嚥性肺炎で入院したときの病棟が呼吸器科であったため、呼吸器科の先生が父の「なぜ熱が出る」という問いに対して「お腹に丸いものがある」と言ってしまったのである。主治医は呼吸器科の先生に「予後告知しない」ことを伝えていたとのことであったが、この日、主治医は出張中であった。父と呼吸器科の先生との折り合いはあまりうまくいってなかった。予定よりも入院が長引くばかりか、主治医が食事をとらせるようにお願いしても呼吸器科はOKを出さず、絶食であったことが、さらに父を苛立たせていた。実際、このときにはクレームを申し立てそうになったが、そうしたからといって父が治るわけではない。

 

→(6)について

 父にいい治療をさせたいと考えたときに、医師にとって「いい患者と患者家族」であるべきだと私たち家族は考えていた。しかし、どういう患者であれば医師にとって望ましいのかは分からなかった。母と弟にはそれぞれのやり方があったが、私は医師の役割遂行を妨げないように気をつけたが、疑問に思ったことはムンテラ以外にも積極的にメールや電話を利用してその都度聞いていた。

 

→(7)について

 予後告知についてはかなり考えた問題であった。そもそも、告知には病名告知と予後告知があることさえ知らなかった。転移については、主治医からさりげなく母に言われたことが始まりであり、主治医も予後告知については悩んでいた様子がうかがえる。後のムンテラでも、言うならば「あまり大きな問題ではないように言った方がいいのではないか」と主治医は言っている。結局、転移発覚後、私が積極的に主治医に情報を求めるようになったため、予後告知についても家族で結論を出すからそれを循守してほしいとお願いする。予後告知については医師によって考え方が異なり、ある医師は「早く言った方がいい、言わないと他の治療ができない」とも言っていた。しかし、転移発覚後、著しい体力低下などにより結果として他の治療はできなかった。

家族内では、最初、母と弟は「予後告知しない」と考えており、私は「予後告知すべき」と考えていた。母は「言えない、かわいそう」ということであったが、私は「自分だったら知りたい」という理由でこのように考えていた。当初、「緩和ケア専門の病院も検討しよう」と言った私は、弟や叔母、医師からも「それはかわいそう」と言われた。

しかし、何だか自分の意見が腑に落ちず、心にひとかけらのひっかかりがあった私は、書物や知人から意見を聞ききつつ、予後告知について時間が許す限り考えた。途中、何度か家族会議を開き、私は母と弟に自分の意見を説明する。その後、母と弟は「予後告知すべき」という意見に変わる。「父をだますのはよくない」という理由によってだった。

しかし母と弟の意見が「予後告知する」と変わる頃に、今度は私が「予後告知しない」という意見になっていた。心のひっかかりがとれたのである。それは、予後告知をしたいのは「残された時間で父と深い交流をしたい」という、生きている(残されていく)私の欲求であることに気づき、当事者である父の気持ちを本当に汲んではいないかもしれないことに気がついたのである。もちろん、私が自分の予後について知りたいと思うように父もきっと知りたいに違いないと思っていたが(こういうときは類推して考えるしか方法がなかった)、予後告知をした後に、父の性格では「自分は大丈夫だ」という演技を私たちの前でして見せ、気丈さを示し続けるだろうと考えた。苦しく痛いのは父であるのに、さらに苦しさや痛みを否定する演技を父に強いることの方が、父にとって辛いに違いないと考えた。

これらのことに気づいたのは、「真実を話さなくても、言葉がなくても深い交流はできる」と言うある人の言葉であった。その人によれば、(勘のいい)父がすでに知っていると想定して、あえて積極的に聞いてこないならば、家族のためにだまされ通してやるという父の美学なのかもしれない、ということだった。そして、「明快な答えがでない状況に耐えなさい」と私に言ったのである。それ以来、私は予後告知についてイエス・ノーで割り切れる問題ではないことに耐えていくこと、そして、父が父の人生のなかで遂行してきた役割を最後まで遂行させることが大事なのではないか、と考え始めた。

 一方で、父が他界した三週間後に肺癌で他界した母方の祖母は、「あと半年」だという予後告知を受けていた。祖母は腺癌であったために手術をおこなわず、2クールほど抗がん剤治療をおこなったが、結果は出なかった。その後、通院しながら自宅で療養していたが、体調が悪くなり病院に運ばれ、そこで約1週間を過ごす。意識が朦朧とする中で、ときおり目を開けて「ここはどこだ?私はもう逝ったか?」と何度も口にしていた。

 

→(8)について

 自分の痛みをケアしようとして、他者に自分の痛みを伝えると、さらに傷つくことが多くある。また、「病」や「痛」や「傷」などは、他者から「かわいそうな人」というイメージをもたれやすい。自分もケアされたいがかわいそうだと思われたくない、という矛盾の中で感情は常に揺れている。けれども、父ばかりではなく家族もあらゆる社会関係をもっており、その中で生活している以上、言わなければいけない場面が多くある。

 

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